わかりやすさとは何か。

AとBという作品があったときに、プロがいいというのは、Aでお客さんがいいというのがBという相違があるとのこと。そこにまた深さがあって、Aの作品をつくった人は、お客さんがいいというBに似た作品を作ることは朝飯前にも関わらず、敢えてAという作品を作ったとのこと。

  • 作品は、あくまで、自分が作りたいものを
  • 商品は、お客様が欲し、評価してくれるものをというポリシ-。

わかりやすさ

自分が作りたいものが、お客様が欲しているものが同じということはプロとしての感度がどうかと思うとのこと。つまり、素人同じではないかと。また逆に、お客様の欲しているものをリサ-チして、これだ!これが来る!と思って商品をつくることは何か素人に先を越されてしまった感じが悔しいと。

ゴッホの作品は、その当時はやっぱり数ある中の作品でありましたが、時代は流れて、評価の高い商品となり売買されています。作品を作るのか、商品を作るのか。どういうウエイトで、作っていくのかは、いつも自問されているようでした。

我に振り返ってみると、授業についても同じようなことが言えます。20代の頃は、わかりやすさと成績を上げる授業を追求してきたような気がします。単なるマスタベーションですね。そういう授業をして、生徒の成績が上がり、合格をし、先生、ありがとう!なんてことに舞い上がってしまう小僧だったのかもしれません。

スポンサーリンク

わかりやすさは、ここ一番だけ

  • わかりやすさは、エンタメであり、学問でなくなるということ。
  • わかりやすさは、お薬のように、「たまに」がいいということ。

わかりやすい授業は、実は、子どもたちから、わからない、わかりにくさにおける耐性をなくす行為になってしまっているということです。そうやって、考える力や創造性を養うことすらできなくなっていきます。しかし、世間のニーズは、わかりやすさを求めています。授業でも、テレビでも、人生でも。わかりやすい1つの正解を求めているわけです。

実際のところ、社会は、そんなに単純ではありません。人生の選択においても、何が正解かわかりませんし、いくつも正解があるような気がします。混とんとし、先がわかりにくい社会だからこそ、わからないこと、難しいことをも楽しめる、そして、自らの納得解を見出そうとする工夫や勉強ができる耐性をつくってあげる教育が大事だと思っています。

もっと長期的な視点が、教育者にも、大人にも必要なんじゃないかなあと思います。短期的に結果を求めるというのは、一種の快楽を求める行為と同意な気もします。

スポンサーリンク