【中学歴史】第一次護憲運動と第二次護憲運動のポイント

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第一次護憲運動と第二次護憲運動についてです。それぞれどんな運動だったかをみていきましょう。

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護憲運動

尾崎行雄と護憲運動図解

護憲運動とは、憲法に基づく政治を守る運動のことです。

護憲運動のキーパーソンとして、尾崎行雄がいます。尾崎行雄は、「憲政の神様」や「議会政治の父」といわれ,一貫した政党政治の擁護者であり、慶応義塾に学び、1882年に大隈重信が結成した立憲改進党に参加します。

第一次護憲運動

第一次護憲運動がおこる1912年、当時の内閣総理大臣は藩閥の桂太郎でした。

第一次護憲運動は、この桂太郎内閣を倒幕する目的で起こりました。明治維新以降、藩閥が政治を牛耳り、その象徴が、桂園時代です。1901年から1913年まで、桂太郎と西園寺公望が交互に総理大臣になるという時代です。

こうした状況で、新しい政治の在り方を模索する動きがはじまり、第一次護憲運動といううねりとなり、藩閥政治は終焉を迎えます。

その後、米騒動、シベリア出兵を経て、原敬が本格的な政党内閣を組織していくという流れになります。

第二次護憲運動

清浦奎吾が内閣総理大臣だったとき、その内閣のメンバーが陸・海軍の大臣を除いた全員が貴族で構成され非立憲的だったため、1924年に衆議院が異議を唱えた運動。

その後、護憲三派(政友会、憲政会、革新倶楽部)の三党による連立内閣が成立。総理大臣は、加藤高明1925年に、普通選挙法、治安維持法が成立します。

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