【中学歴史】院政と保元の乱・平治の乱

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院政について学びます。院政とは、天皇が譲位した後、上皇あるいは法皇となって国政を執り行う政治形態で、が上皇となった1086年に始まり、鳥羽・後白河と3代続いていきます。現代では、会社・組織などで、現職を引退した実力者が経営や組織運営の実権を握っていることを指すときに使われます。

院政

院とは、上皇または、上皇の住まいのことを指し、そこから政治を行ったことから院政と呼ばれるようになりました。院政を行う背景として、皇位継承による争いの可能性を減らし、また皇位継承に関して自分の意思を反映することができる点があったとされます。この院政によって、摂政・関白による政治(摂関政治)は衰えていきます。

それでも、皇位継承には、周りの人たちのさまざま欲が絡みあい、うごめきあうことで争いが起きることもしばしば。それが保元の乱です。

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保元の乱(1156年)

皇位継承を巡る後白河天皇と崇徳上皇が争い。平清盛と源義朝を味方にした後白河天皇側の勝利。この乱により見事活躍して見せた武士達が力を付けていく転機となります。

平治の乱(1159年)

平氏と源氏の間で起こる争いです。源義朝は、保元の乱の後の源氏と平氏の待遇の違いに不満をもっていたところに、藤原信西が登場します。この藤原信西は、源義朝の娘との自身の息子の結婚を断っておきながら、平清盛の娘と息子を結婚させます。これを引き金に、同じく藤原信西に不満を持っていた藤原信頼と組み、争いへと発展します。一度は、藤原信西を殺し、優勢でしたが、最後は、平清盛が勝利。この語平清盛は、勢力を伸ばしていきます。

平清盛

武士として初めて太政大臣となります。また、宋との貿易のために、兵庫に港を整備します。
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