【中学歴史】尊王攘夷運動のポイント

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尊王攘夷運動についてまとめています。尊王攘夷運動とは、天皇を尊ぶ尊王論と外国の勢力を排除しようとする攘夷論が結びついた運動です。

尊王攘夷運動の高まりの背景

江戸時代には、君臣の別を説く朱子学や古代天皇制の復活を説く国学が盛んになっていたこと、孝明天皇の許可を得ず日米修好通商条約を結んだ背景もあり、天皇を尊ぶ尊王論が高まっていました。

また,幕末には 外国船がさかんに来航し、その圧力が強まると,外国人の排斥をとなえる攘夷論が強くなりました。開国後、社会が混乱すると、外国に対して弱腰の幕府と外国勢力に対する反感が強まり、尊王論と攘夷論がむすびつき、下級武士を中心として尊王攘夷運動がおこった。

社会が混乱は、金貨が流出。これにより、幕府は貨幣改鋳します。また生糸の買い占めなどで物価が上昇し、生活物資は不足していくことになります。江戸や大阪では、世直し一揆や打ちこわしが起こる。「ええじゃないか」と踊り騒ぐのもこの頃。

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安政の大獄と桜田門外の変

安政の大獄は、井伊直弼(いいなおすけ)が開国に反対した尊王攘夷派の大名や公家を処罰した出来事。これによりいっそう、尊王攘夷運動が高まり、井伊直弼は1860年3月3日に、水戸藩の元藩士に江戸城桜田門外で暗殺される。これが桜田門外の変

一連の流れから、幕府は、朝廷と共に幕府を建て直す策(公武合体)へ向かいます。具体的なこととして、14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)と孝明天皇の妹和宮(かずのみや)との結婚を進める。

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