【中学歴史】テストで出るところをざっくり要点まとめ

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【中学歴史】テストで出るところをざっくり要点をまとめています。歴史の流れをしっかり理解し、重要な出来事の背景や影響を把握しておくことが得点アップのカギとなります。しかし、範囲が広く、どこから手をつければいいのか迷うことも多いのではないでしょうか?

この記事では、中学歴史でよく出る重要ポイントを時代ごとにわかりやすくまとめ、効率よく復習するためのヒントをお届けします。短時間で効果的に学習できるよう、必要な知識をぎゅっと凝縮しました!ぜひ最後まで読んで、入試対策に役立ててください。

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中学歴史のよく出る要点まとめ

まずは、歴史の流れからまとめています。

時代 出来事 年代 ポイント・説明
縄文時代 縄文文化の成立 約1万年前 狩猟・採集中心の生活、土器や磨製石器の使用、貝塚が証拠。
弥生時代 弥生文化の成立 紀元前4世紀頃 稲作の開始、金属器の使用、大規模な集落の形成(吉野ヶ里遺跡)。
古墳時代 大和政権の成立 3世紀後半~ 古墳の築造、大王を中心とした政治の始まり、豪族の協力。
飛鳥時代 聖徳太子の政治改革 604年 冠位十二階、十七条の憲法の制定。仏教文化の発展。
大化の改新 645年 中央集権国家の基礎、蘇我氏の滅亡。
奈良時代 平城京への遷都 710年 奈良時代の始まり、律令制度の整備。
墾田永年私財法の制定 743年 私有地の拡大が進む(荘園の起源)。
平安時代 平安京への遷都 794年 貴族文化の発展、桓武天皇による中央集権の強化。
摂関政治の成立 9~10世紀 藤原氏による政治支配、荘園の拡大。
院政の開始 1086年 白河上皇による実権掌握。
鎌倉時代 鎌倉幕府の成立 1192年 源頼朝が征夷大将軍に任命され、武士による政治の始まり。
承久の乱 1221年 後鳥羽上皇の反乱、幕府が勝利。
文永・弘安の役(元寇) 1274年・1281年 蒙古襲来、防塁の築造や御家人の負担増加。
室町時代 南北朝の動乱 1336年~ 足利尊氏が室町幕府を成立、南北朝の対立。
応仁の乱 1467年 戦国時代の始まり、全国的な戦乱へ発展。
安土桃山時代 織田信長の天下統一政策 1570年頃~ 楽市楽座、鉄砲の使用、比叡山焼き討ち。
豊臣秀吉の検地と刀狩 1582年~ 中央集権化の進展、兵農分離。
江戸時代 江戸幕府の成立 1603年 徳川家康が征夷大将軍に任命、江戸時代の始まり。
鎖国の完成 1639年 長崎出島での貿易独占、キリスト教の禁止。
享保の改革(徳川吉宗) 1716年~ 米将軍の財政改革、倹約令、目安箱の設置。
天保の改革 1841年~ 水野忠邦の改革、倹約令や株仲間の解散。
幕末 ペリー来航 1853年 日米和親条約の締結、開国。
大政奉還 1867年 徳川慶喜が政権を返上、幕府が終了。
明治時代 明治維新 1868年~ 五箇条の御誓文、廃藩置県、西洋化政策。
富国強兵・殖産興業 1870年代 軍隊・経済の近代化、地租改正、鉄道建設。
大正時代 第一次世界大戦 1914年~ 日本は連合国側で参戦、経済発展。
大正デモクラシー 1920年代 普通選挙法の成立(1925年)、労働運動の活発化。
昭和時代 第二次世界大戦 1939年~ 日中戦争、太平洋戦争、広島・長崎への原爆投下。
日本国憲法の公布 1946年 民主化政策、基本的人権の尊重。
平成以降 バブル崩壊 1991年 経済の停滞、平成不況。
東日本大震災 2011年 被災地復興、防災意識の高まり。

飛鳥時代のポイント

聖徳太子は、推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と協力して、中国や朝鮮に学び、大王(天皇)中心の政治をし改革をした人物だとされています。

  • 冠位十二階…家柄にとらわれず、才能や功績のある人物を役人に取り立てる制度
  • 十七条の憲法…仏教や儒学の教えを取り入れ役人の心構えを説いた憲法
  • 遣隋使…遣隋使は、600年から618年の18年間に3回から5回派遣されています。小野妹子などを隋の進んだ制度や文化を問い入れるために派遣。

この3つは絶対ですね。

飛鳥文化
飛鳥文化は、飛鳥地方(奈良盆地南部)を中心に栄えました。

仏教が、6世紀半ばに伝来し、仏像や経典が百済から朝廷に送られます。日本最初の仏教文化であり、法隆寺の釈迦三尊像(現存する世界最古の木造建築といわれています。)が有名。そのほかには、インドや西アジアなどの文化の影響を受けました。

飛鳥時代頃の海外

  • 中国…6世紀末に、隋が南北朝を統一。
  • 朝鮮半島…6世紀に百済や新羅の勢力を強める。

大化の改新
大化の改新は、蘇我氏をたおし新しい支配の仕組みを作る改革です。

  • 中大兄皇子…645年、中臣鎌足などとともに。蘇我蝦夷・蘇我入鹿の親子を倒します。
  • 公地公民…豪族が支配していた土地と人々を、国家が直接支配します。朝廷や地方の組織が改められ権力の集中を目指しいきました。
  • 天智天皇…中大兄皇子が即位し、天智天皇になりました。大津宮(滋賀県)に都を移して、政治の改革を進めていきました。
  • 天武天皇…壬申の乱(天智天皇のあとつぢをめぐる戦い)に勝って即位。飛鳥に都を戻します。
  • 持統天皇…天武天皇の皇后・日本で初めての本格的な都である藤原京を造る。

飛鳥時代の年号一覧

  • 593年 聖徳太子、推古天皇の摂政となる
  • 603年 冠位十二階の制
  • 604年 十七条の憲法の制定
  • 607年 遣隋使(小野妹子を隋につかわす)
  • 618年 唐の建国(李淵・都は長安)
  • 630年 第1回遣唐使の派遣(犬上御田鍬)
  • 645年 大化の改新(中大兄皇子・中臣鎌足)
  • 663年 白村江の戦い(唐・新羅VS日本)
  • 672年 壬申の乱(大海人皇子VS大友皇子)
  • 701年 大宝律令の制定

奈良時代のポイント

聖武天皇の天平年間とその前後に栄えた、仏教と唐の影響を受けた国際的な文化です。

  • 遣唐使…唐の制度や文化を取り入れる。遣唐使にともなわれ、鑑真らが来日。東大寺の正倉院には遣唐使が持ち帰った宝物が多数収められました。
  • 奈良時代の仏教…聖武天皇と光明皇后は、国ごとに国分寺と国分尼寺、都に東大寺を建て、東大寺には大仏を造る。行基が活躍しました。
  • 正倉院…シルクロードを通って、西アジアやインドから中国に伝わり、遣唐使が持ち帰った道具や楽器が納められました。

歴史書と和歌集

  • 「古事記」「日本書紀」…神話や伝承などをもとにまとめた歴史書。
  • 「風土記」…国ごとに、自然、産物などを記した。
  • 「万葉集」…大伴家持がまとめたといわれる歌集。日本最古の歌集、天皇や貴族、佐奇森、農民の歌など。

平安時代のポイント

平安京は、桓武天皇は、律令政治を立て直すため、784年に都を長岡京に、794年には平安京に移し始まります。

  • 蝦夷…東北地方に住み、律令国家の支配に抵抗。
  • 坂上田村麻呂…征夷大将軍となり、大軍を率いて胆沢地方を平定、胆沢城を造ります。

最澄と空海
最澄と空海比較

  • 最澄…比叡山に延暦寺を建て、天台宗を広める。
  • 空海…高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を広める。

東アジアの変化

  • 遣唐使の停止…唐のおとろえと往復の危険を理由に菅原道真が派遣の停止を訴え、認められます。
  • 中国…唐の滅亡→宋(北宋)が統一。
  • 朝鮮半島…高麗が新羅をほろぼす。

国風文化
時代は、平安時代。桓武天皇が、平安京に都を移し、藤原氏が摂関政治を行っていた時代ですね。国風文化は、それまでの唐文化の影響が薄れ、日本独自の風土、生活、感情にあった文化で、貴族中心に栄えました。

  • 仮名(かな)文字の発明
  • 古今和歌集紀貫之らの勅撰和歌集
  • 源氏物語…紫式部
  • 枕草子…清少納言
  • 大和絵…日本の自然や風俗を描く。
  • 極楽浄土…念仏を唱えて、極楽浄土へ生まれ変わることを願う。
  • 平等院鳳凰堂藤原頼道が宇治に阿弥陀如来像をおさめる。

※紫式部と清少納言はライバル関係。紫式部は、清少納言のことを利口ぶっていると記述。

摂関政治
入試などテストで問われるのは、1000年以降全盛を迎える藤原氏による摂関政治です。1016年、藤原道長が摂政になったときが始まりとされます。摂関政治について解説です。

摂関政治とは、天皇が幼い時には「摂政」、成長すると「関白」として実権を握る政治です。

藤原氏は、娘を天皇のきさきにし、子を次の天皇にしていき実権を握っていきます。その象徴するのが藤原道長・藤原頼道のときです。朝廷の高い地位を独占し、貴族や寺院の私有地である荘園をものにしていきます。

一方で、地方の政治は、国司に丸投げ状態であり、地方の乱れが引き金となり、徐々に衰退していきます。

荘園
荘園とは奈良時代の終わり頃から鎌倉時代まで続いた農園で、当初は、平安時代などは、貴族や寺院が私有地として管理していました。

ざっくりとまとめますが、その後、貴族は、荘園を管理することで得られる既得権益を牛耳るようになります。どんどん貴族によって土地が荘園化されます。それを面白く思わない、元々の農民が、自分たちの土地は自分たちで守るという気概から「武士」となっていきます。

平安時代の終わりにかけて、貴族は戦い(戦闘)に弱いということに武士たちは気づきはじめ、武士の勢力が強まっていきます。その後、鎌倉時代に入ると、荘園は、武士たちによって管理(地頭の配置)されていくようになります。

院政
院政とは、天皇が譲位した後、上皇あるいは法皇となって国政を執り行う政治形態で、白河上皇となった1086年に始まり、鳥羽・後白河と3代続いていきます。現代では、会社・組織などで、現職を引退した実力者が経営や組織運営の実権を握っていることを指すときに使われます。

院とは、上皇または、上皇の住まいのことを指し、そこから政治を行ったことから院政と呼ばれるようになりました。

院政を行う背景として、皇位継承による争いの可能性を減らし、また皇位継承に関して自分の意思を反映することができる点があったとされます。この院政によって、摂政・関白による政治(摂関政治)は衰えていきます。

それでも、皇位継承には、周りの人たちのさまざま欲が絡みあい、うごめきあうことで争いが起きることもしばしば。それが保元の乱です。

保元の乱(1156年)
皇位継承を巡る後白河天皇と崇徳上皇が争い。平清盛と源義朝を味方にした後白河天皇側の勝利。この乱により見事活躍して見せた武士達が力を付けていく転機となります。

平治の乱(1159年)
平氏と源氏の間で起こる争いです。源義朝は、保元の乱の後の源氏と平氏の待遇の違いに不満をもっていたところに、藤原信西が登場します。この藤原信西は、源義朝の娘との自身の息子の結婚を断っておきながら、平清盛の娘と息子を結婚させます。これを引き金に、同じく藤原信西に不満を持っていた藤原信頼と組み、争いへと発展します。一度は、藤原信西を殺し、優勢でしたが、最後は、平清盛が勝利。この語平清盛は、勢力を伸ばしていきます。

平清盛は、武士として初めて太政大臣となります。また、宋との貿易のために、兵庫に港を整備します。

安土桃山時代のポイント

入試で最も出題される織田信長と豊臣秀吉の2人といっても過言でありません。しかし、意外と出題されると答えられないのも、この織田信長と豊臣秀吉がやってきたことです。しっかりこの辺りについても押さえていきましょう。

織田信長

  • 長篠の戦い…鉄砲を利用し、武田勝頼を倒す。
  • 楽市・楽座…安土城下で、商工業の自由化。
  • 関所の廃止…交通の要所に設置されていた施設で徴税や検問のために設置・しかしこの関所は、品物の運送の妨げになっていて、商業の発達がうまくいかない原因となっていたため廃止。

豊臣秀吉

  • 兵農分離…武士と農民の身分を区別。近世の社会のしくみの基盤。
  • 太閤検地…石高で表し、農民から年貢を確かなものにした。
  • 刀狩…農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げた。→一揆を防ぎ、耕作に専念させるため
  • 朝鮮侵略…明の征服をめざす。1592、1597年に2度大軍を送るが秀吉の病死のため引き上げる。→武士や農民に負担がかかり、豊臣氏没落の原因に。
  • 朱印船貿易…本格的に実施

桃山文化
桃山文化は、豪華で広大であることが特徴的です。

  • お城…安土城、大阪城などが有名で、高くそびえる天守が特徴。姫路城は、白鷺城ともいわれ、世界遺産となっています。
  • 装飾画…狩野永徳などの画家によるはなやかな絵も多く出展。
  • 茶の湯…千利休がわび茶の作法を完成。(わび茶とは、草庵風茶室で精神的な充足を求めるもので,特に簡素で静寂な境地を重視)
  • 歌舞伎踊り…出雲の阿国が始めたもこのころです。歌舞伎発生期の女歌舞伎・若衆歌舞伎などの踊り。流行歌謡などに合わせて踊る。

南蛮文化
ヨーロッパ文化の影響を受け、天文学や医学などの新しい学問や航海術、活版印刷術などの技術が伝わってきました。活版印刷では、聖書や平家物語が印刷されました。

宣教師の追放
一方で、織田信長は、キリストを優遇しましたが、豊臣秀吉は、宣教師の国外追放の命令(バテレン追放令)を出します。これは、ヨーロッパ人の軍事力を警戒したためです。しかしながら、南蛮文化が盛んだったので、キリスト教徒は増加しました。

安土・桃山時代の重要年号

  • 1575年 長篠の戦い(織田信長)
  • 1582年 本能寺の変・太閤検地(豊臣秀吉)
  • 1588年 刀狩(豊臣秀吉)
  • 1590年 豊臣秀吉の全国統一
  • 1592年 朝鮮侵略-文禄の役(豊臣秀吉)
  • 1597年 朝鮮侵略―慶長の役(豊臣秀吉)
  • 1600年 関ケ原の戦い(徳川家康VS石田三成)

前後の時代の流れから、どのような変化があったのか、どんな特徴があったのかまで、ストーリーとして知っておくこといいでしょう。

鎌倉時代のポイント

鎌倉幕府の始まりは、1185年に、源頼朝が国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置き、鎌倉に幕府が置かれ始まります。
鎌倉幕府全体図
源頼朝は、征夷大将軍に任命され、御家人と御恩と奉公の主従関係を結びます。

  • 執権政治…源頼朝の死後、有力な御家人をまとめた北条時政が執権の座に就き、以後北条氏が実験を握ります。
  • 承久の乱…1221年に後鳥羽上皇が幕府をたおすため挙兵。幕府軍に敗れ置きに流されます。これをきっかけに、京都に六波羅探題を置きます。
  • 御成敗式目(貞永式目)…1232年、第3代執権の北条泰時が制度化した評定(会議)での判断基準を定めた法律。

地頭の支配
地頭が土地や農民を勝手に支配し始める。そのため、荘園領主との間で紛争が勃発。これは、幕府が裁き、土地の半分を地頭にあたえる下地中分や、一定額の年貢を地頭が請け負って領主におさめることが行われました。土地に対する地頭の権力が次第に強まっていきます。

武士の生活
一族の長である送料を中心に団結し、武士の館では武芸の訓練が行われます。鏑流馬(やぶさめ)などの「弓馬の道」や「武士の道」などの武士の心構えなどです。

民衆の生活
土地が開発され、農作物の収穫が増加。牛馬の使用や鉄製農具が普及し、草や木を焼いた灰が肥料に使われました。同じ田畑でコメと麦を交互に作る二毛作や行われました。

寺社の門前や交通の要所では、定期市が開かれ、また宿屋や商人、手工業者の家ができて町が形成されていきました。

鎌倉文化
貴族は、朝廷の文化を見直し、武士や民衆の力がのび、親しみのある力強い文化が生まれました。

文学では、後鳥羽上皇が編集を命じた「新古今和歌集」、琵琶法師が語り伝えた「平家物語」、兼好法師の「徒然草」がある。

彫刻建築では、「東大寺南大門」にある運慶の代表作「金剛力士像」があります。「東大寺南大門」も鎌倉時代のものです。

鎌倉時代の新しい仏教
鎌倉時代と言えば、仏教の影響を受け質素力強い文化が確立されました。その背景として、戦乱と飢饉から心の安らぎをもとめ、武家政治が始まり、教えを実行することがわかりやすく、簡単だったため仏教の教えは、広まりやすかったと言えます。
<念仏>

  • 浄土宗 法然 念仏を唱えれば極楽浄土に行ける
  • 浄土真宗 親鸞 信じる心があれば救われる
  • 時宗 一遍 踊り念仏

<題目>

  • 日蓮宗 日蓮 日蓮が題目を唱えればこの世が救われる

<禅>厳しい修行でさとりを開く

  • 臨済宗 栄西
  • 曹洞宗 道元

意外に出題される鎌倉の仏教。サッと覚えてしまいましょう。

鎌倉時代の年号

  • 1221年 承久の乱、六波羅探題(後鳥羽上皇)
  • 1232年 御成敗式目(北条泰時
  • 1274年 文永の役(フビライハンVS北条時宗)
  • 1281年 弘安の役(フビライハンVS北条時宗)
  • 1297年 永仁の徳政令
  • 1333年 鎌倉幕府の滅亡(足利尊氏・新田義貞)

室町時代のポイント

建武の新政鎌倉幕府が滅びたのち、後醍醐天皇が始めた政治体制です。
建武の新政組織図

後醍醐天皇が天皇中心の新たな政治を始めますが2年ほどで終焉します。

貴族(公家)中心の政治だっため、武士の不満が高まったのが原因です。

後醍醐天皇は、それまで政権回復を目指し鎌倉幕府打倒を計画していましたが、2度失敗、隠岐(島根県)に流された経験があります。そのときは、幕府に不満の武士たちに助けてもらったにも関わらず、新政府では、貴族(公家)びいきの政策で、武士の要求を満たすことはありませんでした。

足利尊氏の台頭
その政治に失望し、台頭してきたのが、足利尊氏で、武家政治の再興を呼びかけ、武士たちを集め、京都に幕府(北朝)を開きます。

一方、後醍醐天皇は、奈良県の吉野(南朝)に逃れます。約半世紀つづく、南北朝時代のはじまりです。

室町幕府
室町幕府のしくみ図
室町幕府は京都におかれました。初代将軍の足利尊氏のころは九州などの地域への影響力は持っていませんでした。しかし。3代将軍足利義満のときに世の中の混乱がおさまって南北朝が統一されたので、広い地域に支配が及ぶようになりました。

■ 室町幕府の仕組み
室町幕府では、将軍の補佐役として管領がおかれました。

  • 鎌倉幕府からの組織…侍所・政所・門注所・守護・地頭。
  • 管領…将軍を補佐する役職。有力な守護が選ばれた。
  • 鎌倉府…関東地方をおさめる地方機関

日明貿易(勘合貿易
日明貿易とは、足利義満が当時の中国をおさめていた明と行った貿易です。正式な貿易船に勘合という札を持たせていたので、勘合貿易とも呼ばれています。またこの頃、倭寇と呼ばれる海賊の活動に明は苦しんでいました。

応仁の乱
1467年、8代将軍足利義政の後継者争いが守護大名の勢力争いとなって応仁の乱が起こりました。(人の世(1467)むなしい応仁の乱と覚えましょう。)

<結果>

  • 11年ほど戦いは続き、京都は焼け野原になりました。
  • 下剋上の風潮(注1)が高まり、戦国大名が登場しました。
    (注1)下剋上の風潮とは、身分の低い者が高い者を実力で打ち負かす風潮です。

室町時代に栄えた商業
定期市(商人が商売を行う市場)が、室町時代になり、開かれる回数が増え、馬借や問などの成長につながった。色々な商業者が栄えました。

  • 土倉…金貸しをおこなう。
  • 酒屋…酒の製造と販売、金貸しをおこなう。
  • 馬借…年貢などを輸送しました。
  • 座……貴族などに税金を納めて営業を独占した業者。

村の自治
農民たちが自立しはじめて、惣という自治的な組織ができました。集まって話し合ったり(寄合)、村の掟を決めたりしていました。一揆もたくさん起こりました。

  • 1428年 正長の土一揆…高利貸しを農民たちがおそいました。
  • 1485年 山城の国一揆
  • 1488年 加賀の一向一揆…浄土真宗の信者が守護を追い出して約100年の自治を行いました。

北山文化
足利義満のときに栄えた。

  • 金閣…足利田義満が京都の北山の別荘に建てた。
  • …観阿弥・世阿弥が完成させた。義満が保護。

東山文化
足利義政のときに栄えた。

  • 銀閣…足利義政が京都の東山の別荘に建てた。
  • 書院造…寺院建築の様式を取り入れた、武士の住まい。床の間をもつ。
  • 水墨画…中国の絵の技術を学んだ雪舟が、帰国後、日本の独自の水墨画を完成させる。
  • 狂言…能の合間に演じられた演劇。民衆の生活が題材。
  • 御伽草子…民衆の間に広まった、絵入りの物語。

江戸時代のポイント

1600年、徳川家康が豊臣方の大名を破った戦いを関ヶ原の戦いといいます。この戦いに勝利して、家康は全国支配の実権を握ります。

  • 親藩大名…徳川氏一門
  • 譜代大名…この戦い以前から徳川氏に従っていた大名
  • 外様大名…関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従った大名

親藩、譜代は、重要地域に配置された。一方で、外様は、江戸から遠い地方に配置され、要職につけなかった。大名の領地と支配のしくみを藩といいました。

江戸幕府のしくみ

  • 大老…将軍の補佐役、臨時に老中の上に置かれた最高職
  • 老中…政務全般を取り仕切る
  • 若年寄…老中の補佐
  • 寺社奉行…寺社の行政、訴訟、関東以外の私領からの訴訟を受けた
  • 目付…旗本・御家人の監察
  • 大目付…大名の監察
  • 町奉行…江戸市中の行政と裁判をした
  • 勘定奉行…財政、関東の訴訟、関東以外の幕領からの訴訟、郡代・代官の支配

武家諸法度
武家諸法度は、幕府が大名統制のためにつくった法律。1615年より将軍が代わるごとに発布された。この法律の中には、大名を1年おきに領地と江戸を往復させ、妻子を江戸の屋敷に住まわせた制度の参勤交代がありました。

朱印船貿易
朱印船貿易は、江戸初期、朱印状という渡航許可証を持った船が、東南アジアに出かけていった貿易

島原・天草一揆
島原・天草一揆は、1637年に九州でおきた、キリスト教徒への弾圧と重い年貢に苦しむ農民の一揆。これに驚いた3代将軍徳川家光は、1639年ポルトガル船の来航を禁止し、鎖国を完成させた。この期間中もオランダ人と中国人に限り長崎の出島での貿易が許された。

身分と暮らし

  • 武士…支配身分として名字・帯刀などの特権。
  • 町人…名主などの町役人が選ばれ自治を行う。
  • 百姓…本百姓と水のみ百姓。有力な百姓が庄屋(名主)、組頭、百姓代など村役人となり
  • 村の自治を行い年貢を徴収。五人組の制度により統制を図っていました。

このころの近隣諸国

  • 中国…明が滅び、清が中国全土を支配。
  • オランダ…オランダ風説書を幕府に提出。
  • 朝鮮…将軍の代かわりごとに、朝鮮通信使が来日。
  • 琉球王国…薩摩藩に服従。幕府に琉球使節を派遣。
  • アイヌ民族…松前藩が交易の利益を独占。不満を持ったアイヌの人々はシャクシャインを中心に蜂起。

江戸時代の産業
江戸初期農村では農家5戸を1組とし、年貢の納入や犯罪の防止などについて共同責任を負わせる五人組という制度ができました。また、1649年に幕府は、農民の生活を統制するための決まり慶安の御触書を出し、農民の心得を定められました。農業では、荒れ地を開墾し、用水路やため池をつくって耕地を増やす新田開発が盛んに行われた。 農具でも「千歯こき」・「備中(びっちゅう)ぐわ」などが改良・発明されて、生産効率が飛躍的に上がりました。

<用語の整理>

  • 新田開発…用水路の建設、海や沼地の開拓。
  • 農具の進化…土を耕す備中ぐわ、脱穀をする千歯こきなど
  • 商品作物…あさ、綿、あぶらな、染料、べにばななど。

諸藩が年貢米や特産物の保管・販売のために置いた倉庫を蔵屋敷といいます。大阪に最も多く置かれました。1680年には、江戸に湯島聖堂を建て儒学を奨励した5代将軍徳川綱吉が生類憐みの令を出し、のちに貨幣改悪でも知られることとなります。1709年彼の後、儒学者の新井白石は金貨銀貨の質を戻したり長崎貿易を制限し、物価の安定と財政の立て直しを図った。

<用語の整理>

  • 鉱業…佐渡金山、石見銀山、足尾銅山などの開発。
  • 銭座…寛永通宝が流通。
  • 林業…建築用の木材が大量に流通。
  • 水産業…干鰯の加工販売(九十九里浜のいわし漁)
  • 各地の特産物…磁器(金沢・有田)、漆器(輪島・会津)、紙(越前・美濃)など

産業の発達に合わせて交通網が整備されました。海運では、大量の物資輸送に使われ港町が栄えるようになります。西回り航路・東回り航路では、年貢米を輸送。檜垣廻船・樽廻船は、大阪と江戸を往復しました。陸運では、荷物や手紙を運ぶ飛脚が登場します。

  • 五街道…東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中。間所で人々の通行や荷物の運送を監視しました。

都市の繁栄

  • 江戸…政治の中心地。将軍のお膝元と呼ばれる。
  • 大阪…商業・金融の中心地。天下の台所と呼ばれ、諸藩の蔵屋敷が置かれた。
  • 京都…文化の中心。西陣織などの優れた工芸品。
  • 株仲間…大商人の同業者組合。都市での営業を独占。

江戸時代の政治改革
正徳の治(1709~1716)

  • 新井白石が行った改革
  • 貨幣の改鋳(1714)…慶長金銀と同じ品位に戻す。貨幣発行量を縮小するデフレ政策。
  • 長崎貿易の制限(1715)金銀の流失を防ぐため、中国やオランダの貿易船の数を制限。

享保の改革(1716~1745)

  • 8代将軍:徳川吉宗の改革
  • 倹約令…元禄の繁栄の中でにつけた過剰な浪費生活をやめるよう施行
  • 年貢の増徴…それまでの四公六民(収穫高の4割を年貢、6割を農民の保有米とする租率)を五公五民とした
  • 新田開発の奨励
  • 上げ米の制…大名に米を献上させる代わりに参勤交代をゆるめるなどを行い米公方と呼ばれた。
  • 公事方御定書…裁判の基準を定めた
  • 目安箱の設置…民意聴取のため設置され、小石川養生所の設置や町火消の制度が実施が実現。

田沼政治(1767~1786)

  • 老中:田沼意次の政治
  • 株仲間の育成を強化…営業税を徴収するため(※株仲間とは幕府,諸藩の許可を得た独占的な商工業者の同業組合)
  • 長崎貿易の奨励…銅や俵物を輸出し、金銀を輸入。
  • 蝦夷地の開拓にも取り組む。
  • 斬新な経済改革でしたが、わいろが横行し失脚。(当時の習わしで、わいろは公認されてはいました。自分の望みをかなえてくれる相手、約束を守ってくれた人には金品や贈り物で謝礼するようなことで、わいろは悪事だなどと罪の意識はなかったのかもしれません)

寛政の改革(1787~1793)

  • 老中:松平定信(徳川吉宗の孫)の改革
  • 倹約令(1789)
  • 囲米の制(1789)…天明の大飢饉を教訓とし、平素から各村や町ごとに穀物を蓄え、饉や災害などの非常時に備える体制を整えた
  • 棄捐令(1789)…旗本・御家人の借金を帳消しにした
  • 旧里帰農令…農村立て直しのため、農民の出稼ぎ制限を行った
  • 寛政異学の禁…出版統制や学問統制(朱子学のみ認めた。)

天保の改革(1841~1843)

  • 老中:水野忠邦の改革
  • 株仲間を解散…物価を下げるため
  • 人返し…農村人口を維持するため強制的に農民を農村に返す
  • 印旛沼の開拓
  • 上知令…江戸・大阪の私有地を幕領にしようとしましたが失敗。

明治時代のポイント

教育の広がりが、顕著です。小学校の就学率が、97%まで高まります。義務教育期間が6年に延長されます。さらに、中等・高等教育が拡充され、最先端の世界的な研究ができるようになりました。

文学
言文一致により。口語の文章が主流になります。

  • 日清戦争前後…ロマン主義。短歌の与謝野晶子、代表作が「たけくらべ」の小説の樋口一葉などが活躍。女性の文学も目立ちました。
  • 日露戦争前後…自然主義。坊っちゃんなどで有名な夏目漱石。舞姫で有名な森鴎外が登場。
  • ロマン主義…ヨーロッパに興った芸術上の思潮。古典主義・合理主義に反抗し、感情・個性・自由などを尊重、自然との一体感、神秘的な体験や無限なものへのあこがれを表現。
  • 自然主義…理想化を行わず、醜悪なものを避けず、現実をありのままに描写しようとする立場。19世紀後半、自然科学の影響のもとにフランスを中心に興ったもの。

美術・音楽
美術では、フェノロサ、岡倉天心、横山大観、黒田清輝が登場。黒田清輝の作品は、印象派の画風で、代表作の「湖畔」は覚えておきましょう。音楽では、滝廉太郎が洋楽の道を切り開きました。

自然科学の発達

  • 北里柴三郎…破傷風の血清療法を発見。
  • 志賀潔…赤痢菌の発見。
  • 野口英世…黄熱病の病原体を研究。
  • 高峰譲吉…タカジアスターゼを創製。
  • 鈴木梅太郎…ビタミンB1を創製。
  • 大森房吉…地震計を発明。
  • 長岡半太郎…原子模型の研究。

大正時代のポイント

政党政治

  • 第一次護憲運動…1912年、藩閥の桂太郎が組織。これは、藩閥をたおし、憲法に基づく政治を守ることを訴える運動です。その後、桂内閣は退陣します。
  • 大戦景気…第一世界大戦で日本が好況になります。これにより、重化学工業が発展します。

米騒動
シベリア出兵によるコメの買い占めがあり、コメの値段がありました。これにより、コメの安売りを求める運動が全国に広がりました。始まった場所は、富山県魚津町からということも覚えておきましょう。

米騒動を経て、寺内正毅内閣が退陣。次の立憲政友会の原敬が首相、選挙法も改正され、政党内閣が成立します。

大正デモクラシー
民主主義が強く唱えられます。

  • 吉野作造民本主義を唱える。民本主義とは、普通選挙法により国民の意向を政治に反映させようとする主義。これにより、普通選挙運動が発展します。
  • 美濃部達吉…天皇機関説を唱える。天皇機関説とは、主権は国家に。天王は国家の最高機関という考え方です。政党内閣制に理論的根拠を与えました。

大正文化
教育においては、中等、高等教育が普及。自由教育の運動も起こりました。大衆文化というのも特徴的で、新聞、週刊誌、活動写真、ラジオ放送も普及していきます。

文学では、西田幾多郎(哲学)。谷崎潤一郎、芥川龍之介、小林多喜二(作家)など多数の文化人が活躍。都市の生活でも、ガス、水道、電気が普及し、文化住宅と呼ばれる欧米風の外観や応接室も普及していきました。洋食や、女性の洋装が広まったのもこの時期です。

一方で、関東大震災が起こり、東京・横浜は、いったん壊滅状態になります。

大正時代の年号一覧

  • 1914年 第一次世界大戦←サラエボ事件
  • 1915年 二十一か条の要求
  • 1917年 口シア革命(レーニン)
  • 1918年 米騒動(富山県)、原敬の政党内閣成立
  • 1919年 三・一独立運動(ソウル)、ベルサイユ条約(パリ)
  • 1920年 国際連盟成立(ウィルソン)
  • 1921年 ワシントン会議で日英同盟の廃止
  • 1922年 全国水平社の設立
  • 1923年 関東大震災
  • 1925年 治安維持法、普通選挙法、ラジオ放送
中学社会
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